失ったもの
2005年5月9日神奈川で3年過ごしている間、大きなものを失ってしまったことをはっきり認識した。それは演奏技術、しかももっとも基本的な演奏技術。僕はこの3年でそれまで必死になって築き上げてきたものを失ってしまった。うすうす感じてはいたけれども、他人からそう指摘されると愕然とした。ショックだった、悲しかった。
独り孤高の存在を保ち続けるのは難しい。音楽は団体競技だから、必然的にまわりに合わせなければならない。たとえ、自分の技術を後退させるようなことであっても。それに周りのことが気になって、自分のことに目が向かなかった。それが一番の原因かもしれない。失った理由は環境でなく、すべて自分にあるんだ。自分の技術を高水準に保ちつつ、合奏のときにはそのレベルを下げて対応することもできたはず。しかし、悪い意味で環境に慣れてしまった。そして音が飛ばなくなり、正確なピッチがとれなくなった。
僕は試験に落ちたことより、失ったものの大きさに気がついたことによるショックの方が大きい。僕は3年間、なにをしてきたんだろう、って。技術以外の面でメリットがあったことは否定できない。それは正しく評価されるべきことである。ただし、演奏技術は失ってしまった。僕の手からさらさらとこぼれ落ちてしまった。残ったものはあまりにも少なかった。
1ヶ月の猶予があたえられたが、果たしてどこまで取り戻せるのか、見当もつかない。できることは、ひたすら自分の音を再構築していく作業を繰り返すことである。ここで悲しんでばかりいては自分に負けてしまう、私は自分に負けないために猶予期間、最大限の努力をする。それが実を結ばなかったとしても。
独り孤高の存在を保ち続けるのは難しい。音楽は団体競技だから、必然的にまわりに合わせなければならない。たとえ、自分の技術を後退させるようなことであっても。それに周りのことが気になって、自分のことに目が向かなかった。それが一番の原因かもしれない。失った理由は環境でなく、すべて自分にあるんだ。自分の技術を高水準に保ちつつ、合奏のときにはそのレベルを下げて対応することもできたはず。しかし、悪い意味で環境に慣れてしまった。そして音が飛ばなくなり、正確なピッチがとれなくなった。
僕は試験に落ちたことより、失ったものの大きさに気がついたことによるショックの方が大きい。僕は3年間、なにをしてきたんだろう、って。技術以外の面でメリットがあったことは否定できない。それは正しく評価されるべきことである。ただし、演奏技術は失ってしまった。僕の手からさらさらとこぼれ落ちてしまった。残ったものはあまりにも少なかった。
1ヶ月の猶予があたえられたが、果たしてどこまで取り戻せるのか、見当もつかない。できることは、ひたすら自分の音を再構築していく作業を繰り返すことである。ここで悲しんでばかりいては自分に負けてしまう、私は自分に負けないために猶予期間、最大限の努力をする。それが実を結ばなかったとしても。
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